ひと言。

ずっと胸の奥に残っている記憶がある。

思い出そうとしなくても

ふとした瞬間に勝手に浮かんでくるやつ。

誰にも言えなかった記憶。

7歳の頃だった。

小学2年生の始業式。

クラスメイトも入れ変わり教室の空気は少し硬かった。

まだ誰がどんな子なのかも分からなくて、みんなよそよそしく座っていた。

もちろん、先生も変わる。

教室の扉が開いた。

女の人、妊婦だった。

大柄な記憶…本当はどうだったか分からない。

「あの人だ…」

胸の奥がギュッとなった。

怖いと評判の、先生だったからだ。

ホームルームが終わる頃

先生が言った。

「最後に教室に落ちているゴミを拾いましょう。」

みんな一斉に立ち上がった。

俺は床を見ながら教室の中を探したが、どこにもゴミはなかった。

それはそう。

春休み明け、始業式だ。

そのときだった。

急に上着の後ろ、襟元を乱暴につかまれた。

襟元をつかまれたまま

体が前後左右に振り回された。

床と天井がぐるぐると入れ替わるみたいで、自分がどこに立っているのか分からなくなった。

「先生をだまそうなんてね 10年早いんだよ。」

静まり返った教室に響き渡った。

先生の声だ。

息がうまく吸えなかった。

言葉が喉の奥で固まってしまった感じ。

振り回されながらゴミ拾いを強いられ、やっと…自分のかもしれない、一本の髪の毛を拾うと、力がゆるんで襟元から手が離れた。

解放された。

しばらく立ちすくんだ末、しずかに席に着いた。

隣も前も後ろも

まだ「友達じゃない」クラスメイトに囲まれて…ただ、うつむいた。

あのとき泣かなかった。

泣く余裕すら

なかったのかもしれない。

ただ、涙だけが流れた。

怖かった。

恥ずかしかった。

悔しかった。

でも、何も言えなかった。

その感じだけが

今でも胸の奥に残っている。

…先生は

その数日後、産休に入った。

あの人との記憶は

この一場面だけしかない。

大人になって

たまにあの場面を思い出すことがある。

その風景を、少し離れたところからただ見ている。

サボっているように見えたのだろうか。

それとも、あれは「見せしめ」だったのだろうか。

俺は…だまそうだなんて思うわけがなかった。

もし今、あの人に会えるなら。

ひと言だけ伝えたい。

責めなくてもいい。

戦わなくてもいい。

ひと言だけ

「ゴミは どこにも落ちてなかったんだ。」

たったそれだけでいい。

幼かった頃には言えなかったそのひと言を、今の俺が代わりに言ってあげたい。

生き方を一緒に考える

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